Chapter 6 >>
6.新しいご主人様
随分と長いこと夢を見ていた気がする。
最初の頃は、こちらの世界に来てから自分の身に起きた地獄のような出来事が走馬灯のように次々とあらわれ、ひどく辛かった。
それがしばらくすると穏やかなものに変わったのだ。
夢のなかで動物に口の中をぺろぺろ舐められた。
その動物からはとても良い匂いがして私に寄り添って気持ちよさそうに寝ていたような気がする。
そして、何か柔らかいものの上で自分が寝ていることに気が付きそこで目が覚めた。
目を覚ますと目の前には筋肉の盛り上がった厚い胸板があった。
そして、私が寝ているここはベッドではないだろうか……?
どうしてこうなっているのか必死に自分の記憶をたどる。
確か、奴隷市場で新しいご主人様に買われて家に連れて帰られた。
そこには、もう一人ご主人様がいてご挨拶をする代わりに床にひれ伏して、そこで気を失ってしまったのか!?
まずい、初っ端からとんでもない粗相をしてしまった。
奴隷として買われた先が地獄だとしてもやはり痛い目や辛い目にあうことは避けたかったがこのような失態を犯してしまったらきつい折檻は免れないだろう……。
あまつさえ私は私を買ったであろうご主人様となぜか同じベッドで寝ている。
とても許されることではない。
目の前が真っ暗になるほどの絶望に陥りながらも、このままでいるわけにはいかないと身体を起こそうとする。
その時、身体に痛みがほとんどないことに気がついた。
骨折していた右手と左足には添え木がしてあり、身体中にあった傷には包帯が巻かれ治療がされている。
奴隷になぜ治療を施したのか私は理解ができなかった。
少しでも長持ちさせるためなのだろうか?それとも何か理由があるのだろうか?と理由を考えてみたが今は悠長にそんなことをしている場合ではなかったことを思い出す。
身体を起き上がらせ、ベッドから抜けだそうと足を下ろしたとき私の背後で人が動く気配がした。
「目が覚めたのか?」
ご主人様が目を覚まされたらしい。
私は足が骨折していることなどお構いなしに急いでベッドから飛び降りるとその場でひれ伏して全身で謝罪の意を示す。
これで少しでも折檻が軽くなることを望んでいた。
「おい!骨折しているんだぞ!そんなに動くんじゃない!」
何故かご主人様は慌てたような声をあげられた。
ご主人様がベッドから降りて、私のそばに寄ってこられたようだ。
頭の上に大きな手が来る気配を感じて私は殴られると思い、反射的に身をすくめてしまう。
しかし、その大きな手は振り下ろされることなく私の頭の上にポンと乗せられ、優しく頭をなでられた。
「そんなに怯えないでくれ。確かに俺は君を買ったがひどいことをするつもりはない」
ご主人様は私の脇の下に両手を突っ込まれるとそのまま軽々と持ち上げ、ベッドへと私を戻される。
私は訳がわからず、ただ震える身体を抑えるのに精一杯でどうしていいかわからない。
ご主人様がゆっくりと私の前に腰を下ろされる。
「今まで君が受けてきた仕打ちを考えれば当然なんだろうが……。できれば怯えないで俺の方を見てくれないか?」
その声はひどく優しい。
私はなんとか震えながらもご主人様の言われるとおり顔を上げ、ご主人様を見上げる。
私の新しいご主人様はとても身体の大きい方だった。
座っておられるのではっきりとした身長はわからないがそれでもきっと二メートルは超えているだろう。
なぜか上半身は裸で、起きた時に目の前にあった分厚い胸板に鍛え上げられた腹筋、二の腕は太く、余計なものは何一つない筋肉の鎧をまとっているようであった。
この世界に来て私を買っていった人達も皆大柄だったがご主人様は彼らより更に一回り以上大柄だ。
そして、こちらを見つめてくる瞳はエメラルド色で、こげ茶色の短く刈り込まれた髪の上にはちょこんと同じ色の獣の耳が生えている。
顔つきも非常に彫りが深く整っており、精悍という言葉がぴったりだ。
もみあげから繋がるように整えられた顎髭が野性的な精悍さを更に強調している。
ただ、三白眼で表情があまりないので怒っておられるのか何を思っておられるのかが判断できない。
「ありがとう、言葉はわかるようだな。俺の名前はゲイル、熊族だ。君の名前を教えてくれないか?」
名前を聞かれた……?
この世界に来て名前を聞かれることなど初めてだった。
奴隷に名前は必要ない。
番号やただ奴隷として呼ばれるだけだ。
そんなことを考えている場合ではなかった、名前をお応えしないと……だが私は言葉を発することを呪いで禁じられている。
ご主人様はご存知ないのだろうか?
私は首元の奴隷の首輪を両手で押さえながら首を横に振り、必死に言葉が喋れないことをジェスチャーで訴える。
ご主人様はしばらくの間、眉間に皺をよせて何かを考えこまれていたようだが立ち上がり部屋のドアを開けられる。
「ダグ、すまないがちょっと来てくれないか。彼が目を覚ました」
その艷のある低音で誰かを呼ばれたようだった。
それと同時にドアの向こう側から何かをひっくり返すようなものすごい音とこちらに向かって走ってくる足音が聞こえた。
ドアを叩きつけるように開けて、これまた大柄な男性が入ってきた。
ご主人様より少しだけ背は低いだろうか?
しかし、その体は服の上からでもご主人様と同じぐらい鍛え上げられた実用的な筋肉がついていることがわかった。
手も大きければ他のパーツの全てが大きい。
ただ、左腕が肩の付け根から欠損している。
こちらを凝視するように見つめてくるその瞳は茶色で、くすんだ金髪は短くカットされているがくせ毛なのだろうか?手入れもされておらずボサボサで飛び跳ねている。
しかしその顔は、少しタレ目がちで野性的ではあるが非常に整っている。
大きく開かれた胸元には薄く金色の胸毛が生えており、無精髭と相まって渋い大人の男というフェロモンがでている気がした。
そしてやはり獣人のようで髪の毛と同じ色の大きな獣耳が頭の上に、ご主人様には無かった長い尻尾が足の後ろに見えた。
あの形はライオンだろうか?
どちらにしても二人共、男としての魅力に溢れていることが感じて取れた。
日本にいたころの私とは大違いだ、同じ男として若干の劣等感を感じてしまう……。
「おお、やっと起きたのか坊主!うわぁ、本当に黒目なんだな。ああ、すまねぇ俺はダグラスだ。ダグって呼んでくれ。見たらわかると思うが獅子族だ、こいつの同居人な」
同居人ということはご主人様と同じ立場の方だということなのだと理解した。
この方にも決して粗相があってはならない。
挨拶をしてくださったダグラス様にお辞儀をし、もう一度首輪を両手で押さえ首を振るジェスチャーで言葉を発することを禁じられていることを訴える。
「言葉はわかるようなんだが喋ることができないみたいでな」
「あーそれは奴隷用の魔法具か、確かそれに色々な制約を呪いとしてかけることができるんだったか?それで言葉を喋ることをもしかして禁止されてんのか?」
私は大きく首を縦に振ってその通りですと伝えた。
「ちっ、身体を痛めつけるだけじゃなく喋ることすら自由にさせてもらえてなかったってぇのか、ほんとあいつらよぉ!!」
ダグラス様が近くの壁を蹴り上げられた。
私はついビクッと反射的に身をすくめてしまう。
「ダグやめろ。彼が怯えている」
「ああ、すまねぇな。お前に怒ったわけじゃねぇんだ。あまりに胸糞が悪かったもんで、ついな」
「この魔法具は外すことができるのか?」
「いや、俺も詳しいことは知らねぇんだよなぁ。ちょっとギルドで調べてみるか」
私は奴隷なのにこの首輪を外そうとしてくださっている?どういうことなんだろうか?
考え込んでいるとダグラス様が近くにやってこられて頭を思い切りくしゃくしゃっと撫で回され、片腕で引き寄せられてその胸に抱きしめられた。
「もう大丈夫だからな。おっちゃんたちはお前に痛いことも辛いこともさせるつもりはねぇ。もう心配することは何もねぇからな。おっちゃん達に全部任せておけ。とりあえず、まだしばらくはゆっくり休んで体力をつけような」
また頭をぐりぐりとなでられた。
「それじゃとりあえず飯にするか」
「そうだな、ミンツが作ってくれたスープがまだあったはずだ。少しずつ固形物を食べさせて慣れさせてやろう」
「よし、それじゃちょっと待ってろな」
ダグラス様は部屋から出ていかれた。
その場に残られたご主人様は、もう一度私のそばに寄ってこられるとそばに腰掛けられ、背中に手をあてて支えてくださる。
身長の関係でどうしてもご主人様を見上げる形になってしまうが、ご主人様がこちらをじっと見つめこられ無表情なのだがなんとなく僅かに微笑まれた気がした。
「今まで本当に辛かっただろうがこれからは俺達が君を守る。君を奴隷という形で買ってしまったことは申し訳なく思っているが君を奴隷として扱うつもりはないから安心して欲しい」
今、ご主人様はなんといわれたのだろうか?ご主人様が私を守る?奴隷として扱うつもりはない?そんなに都合の良い話が転がっているはずがない。
そうすることでご主人様にメリットは一切ないのだから。
私が告げられた言葉をうまく飲み込めず戸惑っていることが分かったのだろうか?
ご主人様は先程ダグラス様がされたように私をぎゅっと抱きしめられた。
「すぐに俺たちのことを信じられないのも無理は無いと思う。だがこれだけは信じて欲しい。俺もダグも君のことを大事に思っている。今までが不幸だったならこれからはそれを忘れられるぐらい幸せにしてやりたいとすら思っている。だから、自分が奴隷だったことなど忘れてしまえ」
この世界に来て、初めてかけられた優しい言葉だった。
本当にこの人たちを信じてもいいのだろうか?という気持ちが完全に消えた訳ではなかったがそれ以上にその言葉は私のボロボロになった心に染み渡っていった。
そうなるともう我慢が出来なかった。
涙腺が壊れたように涙が次々とあふれ、ご主人様の胸に頭を押し付けたままポロポロと泣き続けてしまった。
その間ご主人様はずっと頭をゆっくりとなでてくださっていた。
どれぐらい泣き続けていたのだろうか?
気がつけばご主人様の胸は私の涙や鼻水でぐちょぐちょになってしまっている。
それに気づきどうしようと何か拭くものを探していたらご主人様がタオルを近くの棚から取り出して私の顔を拭ってくださった。
「落ち着いたか?」
ぽんぽんと優しく頭を叩かれまた涙が出そうになったが必死にこらえる。
ご主人様は、僅かに目尻を下げた優しい表情でこちらをじっと見つめておられ
